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島津日新公、このお方「しまず・じっしんこう」とよむ、この方が説いて広めた、いろは歌。いろはにほへと、、、順に並ぶ、先人の教えの中でも冒頭の「い」からはじまる、この碑に刻まれた歌が最も有名で含蓄があり、いろんな場面で使えるというか、応用が効くように思う。
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「いにしへの道を聞きても唱えても、わが行いにせずばかいなし」本当にそうだねーって思うことが老若男女、あらゆる人に思い当たること、あるのではないだろうか?僕について、パッと思いつくのは、「継続は力なり」という慣用句かな。昔は地道な積み重ねの効果を信じて努力するタイプだったように思う。継続しようとして頓挫した事、山のようにある気がする。この件については、また別の機会に語ることにしたい。
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本記事で書きたいのは、そんな含蓄の多い歌碑が並ぶ、鹿児島県南さつま市加世田武田にある、いにしへの道は、いろは歌だけをただ追いかけるだけでもかなり時間を要するところである。が、それ以上にそのたたずまいがいつの間に趣深い所になっている。つまるところ、この掲示画像二枚だけで十分伝わると思う。
そうそう、一見、人も来なさそうな所、ホントに観光地の一つ?と思ってしまうが、いろは歌に少しでも引っかかるところがあった人にとってはその歌碑の前で時が止まることだろう。実際、僕の友人も、僕の勧めに応じた転職に迷っていたが、この歌碑の前で「当たって砕けろ」的な思いを強くして新しい道に進むことを決意した。
そうそうそう、一見、寂れていて、入る価値あるの?と思ってしまいがちだが、上の敷地内のトイレの画像からもわかるだろう。もう後から作られた施設までも歴史的な敷地の中に自然と組み込まれた、「緑」の中におさまっているのである。空気感が他と違うと言えばいいかな。一面に緑の自然、木々、草、こけにおおわれた場所に癒されるはずだ。もっとしっかり調べてみたいが、そこには侘び寂びの緑が広がっている。
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向学のために、あえて日本文化の基本的なことを記してまとめとしよう。
「侘び」は、質素で簡素な生活や、心の奥底に感じる孤独や寂しさを指します。一方、「寂び」は、時間の経過によって表れる、古びた美しさや、物寂しさを指します。
さぁ、上述の内容をいにしへの道の現場で感じてくださいな。
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