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2023(令和5)年、初詣に出かけたのは、護国神社であった。何ら深い考えがあったわけでもなく、よくお参りするからというわけでもなく、いつの間にか護国神社を選んでいた。
護国だから「国を守る」意味合いがあり、しかも戦没者を祀っていることから、この日本国のために犠牲になった戦没者たちの霊を神とあがめ、その功績やらに感謝しつつ、さらにまた国がいい方向に行くように願ったり、祈ったり、頼ったりする所であるという認識はあった。他の神社とちょっと趣が違うというか、国を守った先輩方、もっと言えばご先祖様に感謝しつつ、また将来をお願いする、しかも個人的なお願いもあるけれども、もっと大きく国の行く末に希望が持てるよう拝む、そんな感じかな。
一般的には、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社とのこと。1939年以前は招魂社と言われていたものが元になっているらしい。中でも、指定護国神社というものが、①東京と神奈川を除く道府県に建立されているというのも初耳~。そして、その道府県の出身者ないし関係の戦死者を中心に、自衛官・警察官・消防士などの公務殉職者を主祭神としている!?自分的には、戦没者という意識だったので、第二次世界大戦で日本国のために命をかけて戦った方々のまずは鎮魂があって、その方々の功績を称えて神として崇めた上で、様々な思いや願いをするというイメージだったので、②より現代に近い時代のみんなのために働きながらの殉職者まで含んでいるとは知らなかった~。
そして、初詣した③鹿児島縣護国神社は幕末期からの鹿児島県関係者の御英霊を祭ってあるとのことで、さらに初めて気づいた~、知らなかった~感が強い。そもそも、ここが全国の護国神社の先駆けになったのは、いわゆる明治維新を切り拓いた、戊辰戦争において戦功の大きかった薩摩藩の戦死者の忠魂を永久にお祀りせよとの明治天皇様の思し召しから建立されたことによるからなのだ。維新の先陣を切った薩摩・鹿児島だから、江戸時代の末からの混乱期において、国を二分する戦いの中で命を落とした内戦の犠牲者が多くて、鹿児島の先輩方が世の為、国の為に命を捧げられた神として祀られているわけなのだ。鎮魂された戦(いくさ)の犠牲者は今は「護国の神、平和繁栄の神」として多くの人々に親しまれ崇敬されているのである。
もっと細かに、鹿児島縣護国神社に祀られた先輩方の柱を見てみると、それは幕末からの簡略化した日本史とも見てとれるものだったぁ~。
安政の大獄 2柱
桜田門の変 2柱
この上の3行が、上記の下線部②の初めて気づいた事に関係する部分だとおわかりだと思う。
また、上記の下線部①の初耳=初めて気づいた事について、指定護国神社は、ある調べによると、1939年段階で全国に34社あったらしい。その後、数は増えたが
敗戦のタイミングまでに造営できずに建立を断念せざるを得なかった宮崎県と神奈川県には護国神社が存在しないとか、反対に、それぞれの地域事情で、複数護国神社がある所とか、靖国神社があるから東京には護国神社はないとか、調べればまだまだ興味深い史実もあるあるで、面白いねー。
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