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お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」
『君の膵臓をたべたい』で号泣してしまった。真実か挑戦かゲーム、リアルでやってみたいね~ww <ネタバレ必須です、ご注意!>
正直、僕は2回目の鑑賞だった。なぜ1回目には、ラストシーンや途中を忘れるくらい、感動が小さかったのか、疑問だ。たぶん鑑賞時の僕の心中が穏やかでない、異常だったのだろう。確か1回目鑑賞時には、こんなキレイな女子(浜辺美波の役)が、あんな社交性のない男子(北村匠海の役)とうまくいくとは思えない絵空事だ・現実味に欠けると決めつけていたように思う。
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だが、この1回目の時の感想は消えてしまった。話が進めば進むほど、あり得る感が出てくる。しかも、何で、ここまで感動、感涙してしまったのかというと、やはり、社交性なく、自分のテリトリーに籠もりきって、しかも自信もなくダメダメ地味男子を自覚している北村拓海の役柄(志賀春樹:以降シガと表記)なのに、そこを全面的に肯定する、悟りを開いた浜辺美波がいるからである。そして、彼女の語りにこそ、心を動かされるし、そこまでの深い考えを持たざるを得なくなった彼女の、死に直面した状況にまずは同情というか哀れみの念が生じる、その上に、追い詰められた状況下にそこで葛藤しながらも気高く生きようとしてい「た」様子に、視聴者の心を全部持って行ってしまうのである。
なぜに、「た」、過去形か。物語の構成が上手いからである。いわば、主人公の浜辺美波演じる山内桜良(さくら:以降サクラと表記)の用意周到な仕掛けに、見事に視聴者を含めた周囲すべてがハマるからであろう。映画の脚本?撮り方?も上手だった。家族、親友、出てこない、カットして2人のことを浮き彫りにする手法がよかったと思う。この手の主人公が病魔に襲われるパターンでは、主人公の父母が日常を取り繕う様子とか、共に真実に向き合う者として、医者や親友との関係が描かれがちだと思うのだが、そこが一切ない。よって、サクラとシガが「君」と呼び合う関係が違和感なく入ってこれた一因となっているようだ。
いやぁ、僕の映像批評シリーズは、作品全体を批判的にみて批評するのが本筋なのだが、批判するところが見つかるだろうか?できないかもしれない。なぜなら、今、素直に感動した号泣ポイントを整理していきたいと思うからだ。
号泣ポイント① シガがサクラからのちょい強引な流れでの質問に答えた、シガが以前好きになった女子を好きになった理由「何にでもさん付けする彼女が、周囲に対する敬意を忘れないでいる姿勢を大事にする素敵な人だった」的な説明をした後のシーン。間をおいて、サクラが「彼女を好きになった君の理由がだよ」とシガの気づきの素敵さを認める言。号泣?と思うかもしれないが、僕はもう正直うるうるしてきていたね。(笑
号泣ポイント② (病魔への不安を微塵も感じさせないように?)太宰府天満宮で、常に元気に明るく振る舞うデート中のサクラ。そして、神様に祈ったのは「シガを含む身近な人の末永い健康」。さらにおみくじ大吉の文中「病やがて治る」に「治んないつーのねー」の言。
号泣ポイント③ 人に食べてもらうと魂がその人の中で生き続けるという話の後に、「私生きたい、大切な人たちの中で。」と既に自分と病魔を達観視しているサクラの強い言葉。
号泣ポイント④ さえないクラスメイトである自分と時間を過ごすべきじゃないと言うシガに、きっぱりと、「違う」というサクラ。そして、「偶然じゃない、流されてもいない、運命でもない、君がしてきた選択とあたしがしてきた選択が私たちを合わせたの。私たちは自分の意志で出会ったんだよ。」と、やはり、病魔と闘う中で、運命だから仕方ないと簡単に片付けずに、自分の人生とつきあってきた彼女の歴史が凝縮して表れたようなトーク。
号泣ポイント⑤ 「君、先生になりなよ。おしえるの上手だから。」のサクラの推しの言。これに押されて教師になって6年、母校に赴任して1年のシガが「果たして生徒と向き合えているのか」と自問するところ。
号泣ポイント⑥ 共病文庫読む権利与える指切り。
号泣ポイント⑦ サクラの変な様子に気づき、夜、病院に忍び込むシガがゲームに勝って、、、君にとって僕は、、、「君にとって生きることとは?どうゆう事?」の問い。
これにサクラは「誰かと心を通わせること、認める、好きになる、嫌いになる、一緒にいて、手を繋ぐ、ハグする、すれ違う、それらを経て、自分1人じゃ生きてるってわからないから、そう、好きなのに嫌い、楽しいのに、うっとうしい、そうゆうまどろこしさが生きてる証明、君がくれる日常が私の宝物、もう一度旅行行きたかった。私に生きててほしいの?君が私をそこまで必要にしてるなんて」と答える。
号泣ポイント⑧ 共病文庫の内容で真実のサクラの様(を知り、もう泣くしかない)。
号泣ポイント⑨ 葬式から1ヶ月後にサクラの家を訪ねて、サクラ母にお門違いだけど、でもごめんなさい、もう泣いていいですかと言って泣き出すシガ。
号泣ポイント⑩ サクラが聞きたかった事は、後半の共病文庫にも書いてなく、なんと高校の図書館での迷い本探し・宝探し的遊びに隠してあった!しかも二人をつないだ『星の王子様』のカバーの中に忍ばせた手紙に書いてあった。さらに、その聞きたかった問いは「どうして、名前で呼んでくれないのか」・・・・いずれ失うから、特別な誰かにしたくない?と自問するサクラ・・・・
私は弱い、だから、友や家族を巻き込む、はるき(シガ)はたった1人で生きてる、いつでも自分自身、強い、すごい、その勇気をわけてあげてほしい、そして、誰かを好きになって、手を繋いでハグして、心を通わせて、うっとうしくても、まどろっこしくても、私の分まで生きて!私,はるきになりたい、はるきの中で生き続けたい。君は嫌がるかもだけど、わたしはやっぱり、君の膵臓をたべたい。
十個も号泣してしまった。やはり、冒頭にも書いたが、達観女子のサクラから全面肯定されるから、心が揺り動かされるのだ。それはプラス思考やリフレーミングも超えて
、世の中のダメダメで全く自信の持てない男子の存在を無条件に受け容れ、肯定し、その可能性を信じてくれることに支えられている。こんなにも認めてくれて、、、、、
同時進行画像で退職届を破るシガはるきの姿に、自身や自信を取り戻す様が見えて、さらに感動が昇華される、嬉しい気持ちになった。
さぁ、本ブログのタイトル通り、批判してみたい。
1 「明日どうなるかなんて、わからない」を作者としては協調したかったのだろうが、あまりに衝撃的で悲劇的すぎる~通り魔に刺されて死亡とか、せめて短い余命を全うさせてあげてもよかったのでは?落ちついてストーリーを振り返ると、あまりにすくわれない。
2 高校生時代と大人と配役を換えての実写となっているが、サクラの親友・恭子は北川景子じゃなく、そのまま大友花恋で、シガも小栗旬でなく、北村匠海でもイケたのでは?卒業から12年後の設定ということだが、、、、30歳くらいか、、、、高校時代から外見がめちゃ変わる奴もいるが、あまり変わらないほうが一般的に思うからだ。(決して小栗旬がよくなかったとは思ってはいないが。)
3 冒頭のシーン、やはり気になる。ちょっと穿った見方をすると、何年経ってもサクラの亡霊をシガは図書館で見てる現状が描かれている。このシーンでもすくいようのない悲劇で愛する人を失った人の衝撃は計り知れないものだ。特に致死率の高い病魔に侵され、恋人を病気等で早くに失くしてしまうことの衝撃は大変なものだ。実際は大変すぎて、立ち直れない、シガの立場だとしても、もっとリカバリーに時間がかかるはずだと思う。同様な病魔で看取りまでを行った経験者は、この映画をどう見るのだろうか、興味本位だけではきけないが、きいてみたい気はする。
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