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いつか、しっかり調べてイケダパン(=池田パン)についても書いてみたい。そのイケダパンがむかーしから出していて、安くてうまいパンがラビットパンだ。もちろん、この物価高当然時代におすすめしたい一品ですよぉ。今回の記事の裏テーマとして記しておきたいことは、先日2024年8月31日をもって49年の歴史に幕を閉じた鴨池イオンダイエー、たくさんの県民・地元民に愛されていながらも終焉を迎えざるを得ないことも世には多い。だからこそ、その歴史の一端でもいいから、どこかに記録しておかねばならないし、そのどこかは複数というか沢山あったほうが、消え失せてしまう危険性への担保にはなると思う。8月末日には2万人が訪れたという。今時、すごい数字だと思う。でも、鴨池イオンダイエーが鴨池ダイエーショッパーズプラザとしてデビューした時は8万人が列をなして入店したという。この数字、自分で出しておきながら、どう読むべきかわからない。(でも心の中で栄枯盛衰は世のならい、残せる記録や歴史はできるだけ残してつなぎたい!と思っている。)
だから、大事なものが消え失せてしまう、無くなってしまうことへの不安や恐怖が先に立っている、そんな状態に、今の僕はあるので、いつまであるかわからない、僕の本ブログではあるが、残せるだけ残しとこう!そのためにちょい無理して○○kennを超越してコピペもしちゃおう。残したい、つなぎたい、広げたいという意志は○○motoもおんなじだと考えるからだ。
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まずは、イケダパンさんのHPからいっとこう。
「白あんを包んだパンに羊羹をコーティングしました(10月~4月期間限定販売)。
1957年(昭和32年)発売、イケダパンを代表するご当地パン。
ラビットパンの名前の由来には諸説あり、①パンをお月さまに見立て十五夜うさぎを連想したという説や
②黒い艶やかな見た目がアマミノクロウサギのしっぽに似ている③うさぎの目に見立てたという説などがあります。」
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皆さん、僕が言ったとおりでしょ。残せるもの、残したいものはしっかり残しておかないと、曖昧な表現になってしまうのだよ。ラビットパンの命名のいきさつについて、諸説あるとか、製造元のイケダパン自身がわからないようなら、誰がわかるっていうのだろう!?大事な情報を残すのは困難なことなんだと、この事例は示しているように感じる。そもそも、「鴨池つながり」でダイエーと池田ラビットパンを無理やりつないだが、池田ラビットパンのほうが、歴史は古いし、長い。
この個性豊かなパンを懐古的復刻版として出すくらい、深い思いを持っているところがまずもっていいねー、すごいよ、イケダパンさん!袋の裏には「鴨池つながり」について書いてある、敢えて文字起こしするように再掲するよ。「思い出のあのとき、あの頃。ラビットパンが発売された昭和32年、鹿児島市に「鴨池」空港が開港し、昭和47年に溝辺に移転するまで鹿児島の空の玄関として活躍しました。昭和39年には、東京オリンピックの聖火がYS-11で降り立ちました。」と「鴨池」空港の管制施設の白黒写真とともに記載されているのだ。時代はちょっとズレるが、ダイエーの前の動物園と空港は同じ「鴨池」の地にあって1kmしか離れていなかったわけだ。ラビットパンの個性豊かなところは、またの機会に語らせていただく。ではでは、まだまだ鴨池ダイエーロスで、ノスタルジックな気分の僕を含めてのたくさんの人々に、ちょっとした「鴨池」ネタのおまけでしたぁ~。
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