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第9話「夏くんの恋人へ」は、何だか重くてもうお腹いっぱい!?じゃなく、もう頭いっぱい!?という気持ちになった。この感情に僕をさせたのは、やはり、自らの命の限界を知った水季が、自分のいない世界で自分の好きだった人との愛の結晶である、海をどうしたら守っていけるのかという視点で、巧みに企図された計画に周囲の人物が振り回されていると感じたからだ。
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しかも、このドラマ、見る人が登場人物の誰に一番、共感するかというか、自分の姿を重ね合わすかどうかで、見方が違ってくると言うか、心動かされるシーンも変わってくるようで、そこが面白いと言えば面白いのだが、何だろう、違う見方の人の考えを心底理解しようと思うと、難解というか、ドラマがよくでき過ぎていて辛くなるというか、なんか、楽しめる余裕が全くない、シリアス過ぎるという印象だ。こんな変に重たいシリアスなドラマなので、演者の目黒蓮が途中で体調に異変をきたすのも分かる気がするよ。
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ちなみに僕の彼女は、もう世を去った水季に自己を重ねているらしい。今までのシーンの中で一番、感動して涙が止まらなかったところは、何と3話に遡る。夏、海、弥生3人の室内シーン。夏が海のホンネに迫るところ、弥生の制止を聞かず、「何でそんなに明るく元気に振舞っているの?大事な人をなくしたりの悲しい時は泣くんだよ、泣いていいんだよ、逆に泣かないで内にためたらいけない。」この言に静かに夏に抱きつき泣き始める海。その悲しみを外に出せた、親としての夏の安心感と同様な視点で、そのシーンをもし、水季が見たら、安心の涙を流すだろうと思いやる気持ちでボクカノは、涙が湧いてきたらしい。
同じシーン、僕はなぜか、有村架純演じる弥生の感情に同調していた。だから、今、この瞬間、弥生という今の恋人がいるところでそんなカタルシス効果を狙う必要ある~?って思った。あまりにも弥生に配慮のない夏のバカぶり、鈍い気遣いというより強引ぶりにイラ立つくらいだった。こんなシーンも、水季が予測していたとしたら、怖いなぁという感情が先に立つ僕だった。本題に戻ろう、「夏くんの恋人へ」と題した手紙、母親の愛娘への愛情の表れと言えばそうなるが、洞察が鋭い以上にあまりに先を見通しすぎていて、僕は、この世を去った人がまだこの世で起こることに影響力を及ぼそうとする、まるで幽霊が生きてる人に災禍をもたらすような、そんな怖さを感じるのだ。
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海の母親候補として手を挙げた瞬間に渡すように遺言していた「夏くんの恋人へ」だから、あまりに周到に準備されていたわけだから、さらに恐怖感が増す。その手紙の概要を記すので、僕の視点で、恐怖を感じてくれたまえ!?
「はっきりしない夏くん、幼い海、短気な母、気が抜けた父、やっかいな人たちに挟まれて、窮屈だったと思います。海の妊娠自覚後、最初は中絶のつもりでした。相手のことを考えすぎたせいです。でも珍しく他人の言に影響され、自分が幸せだと思える道を選択することにしました。夏くんではなく、海を選びました。そのおかげで海と一緒に過ごすことができた。海を見る度、話す度、幸せな時間だったと思います。たぶん人より短い人生だったからこそ、幸せだったとは断言できないし、他人からあの子は幸せだったとは言われたくない。でも、海と過ごした時間が幸せだったのは事実です。誰も傷つけない選択とかないけど、自分が犠牲になるのが正解とも限らないと思う。他人に優しくなりすぎず、ものわかりのいい人間を演じず、ちょっとズルをしてでも自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。海と夏くんの幸せと同じくらい、貴女の幸せを願っています。」事前に弥生には海には会わせないと水季が決めて、その何も知らされない弥生に後からこの手紙を読ませるとか、、、、やはり水季のたくらみがすごい、見えないけど、物理的存在はないけど、夏と海の近くに居続けようとしてるように思える。
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そもそも水季の堕胎同意書の出し方とか、恋人の夏の人をいまさら見すぎている?試している?妙な出し方だったし。その後の夏との連絡の取り方とか、あまりにわがままだったし。(まぁ夏が弱すぎの行動力なしのダメ男なこともあるが・・・)若い二人のやらかしがちなことと言ってしまえばそこまでだが、ちゃんと避妊管理ができていなかったわけだし。(あまり触れられていないが、水季の病気、子宮頸がんと来れば、直接の原因は夏から出たヒトパピローマウイルスが原因だったんじゃないの~?とまで考察進めると、やっぱり機動戦士コンドムを付けていたのかどうかは避けて通れない論点な気がしてならない。付けていなかったとしたら、どんな理由からだったのかとか、追及心が止まらないよ~。)そして、手紙に戻れば、冒頭下線部、「やっかいな人たち」の中に、津野君とか入っているのだろうか?自分が犠牲にならないパターンとは、いったい誰が犠牲者という想定があったのかとか。手紙の下線部、この言はもともとは弥生の言のはずだが、なぜこれがちゃんと伝わらず、策略家の水季の手にかかれば、弥生の気持ちをマイナス方向に持っていくことができるのか。最後の一文も、弥生の幸せを願うとか、嘘つきすぎる~。
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