今週のお題「お米買えた?」
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まず、お題の問い「お米買えた?」に答えると、8月末のイオン鹿児島鴨池店の売りつくしセールでさえも、お買い得のお米を買うことはできなかったよー。そして、事実として、イオン鹿児島鴨池店の建つ場所は、鴨池動物園の跡地である。現在既に半世紀以上の歴史を刻んでいる平川動物公園の前身とのこと。跡地にはっきりとした想い出があったり、動物園を訪れた記憶にノスタルジックになるのは、かなり上の世代であるとは思うところである。しかし、画像の西側玄関口にある動物などの像や以前紹介済だが、駐車場の各階に動物園の人気キャラをあてたりしているのは、その過去からの流れや想い出を大事にしようという、すばらしい気持ちの表れであろう。その気持ちの部分、既に継承されることは決定しているようで、次にできる施設内にも、少なくともこの像たちは残されるらしい。
イオン鹿児島鴨池店の隣りにある、鴨池児童公園には、動物園時代の正門の片方がしっかりと残されている。これも児童公園とともにちゃんと残るんだよね?誰かが過去を大事に語り継ぐためにも守ってほしいものだ。公園の外柵になっている石塀、正門の上に刻まれたアーチと同じ形で一つ一つが窓のようにデザインされているが、これまた当時の姿をそのまま見せている貴重なものとのこと。
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鴨池動物園の敷地は、電車通りを挟んで、旧谷山街道の辺りまであったというから、今、電車通りに面したマンションの建っているところも含んで動物園だったことになる。当時のサービス精神旺盛でユニークな造りとしては、電車が高架で動物園内に入っていて、入園しなくても、屋外に出てくるゾウを市電から眺めることができた!すごいね!1916年に国内4番目に開園した動物園なんだってね、さらにすごい!戦時中はここだけの話ではないが、猛獣が逃げ出すと危険とのことやらで殺処分される悲劇もあった。ライオン・クマ・ワニ・ニシキヘビが犠牲となった記録も残っているとのことだ。
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戦後には水族館や野外劇場を備えたり、1939年、東京オリンピックの年には、モノレールも回遊する遊園地も整備されたんだと!驚きだね!みんながこぞって来園して遊べるところだったというから、総合レジャーランドのイメージだったのかも。だから今の平川(1972年移転)と単純に比較してはいけないのかもしれない。しかも、周辺の事情も違った。当時は与次郎が浜が埋め立てられてなかったので、園から海が近く、ゾウが海に水浴びに行ける環境にあったらしい。当時の飼育員の方の話しだと、ゾウもあまりに気持ちがいいので園に帰りたがらなかったらしい(笑。錦江湾の自然と戯れるゾウの生態とか見てたかったなぁと思う。
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