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『変な家』の批判だよ、バツな事として言えるのは、驚かせ方が、基本ワンパターンしかない!もっとバリエーションほしかったってことだ!つまり、静かな場面から、急変、大きな音がしたり、奇声があがったり、様相が急激に奇妙になったりすることでのモノがほとんどだった。その突然さに、観客がびっくりさせられるのが多すぎた。
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反対の面から言い換えると、血を見る、見せるとか、色で視覚に訴えるとか、不安をあおるような物音や音楽で聴覚から刺激するのも、あるにはあったが中途半端で物足りなかったと言えよう、家様(いえよう)。←分かりにくいダジャレのつもり(笑
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いえよう=間取りについて、その変さ加減を共通項に、最終的には、明治大正昭和初期的な古い閉鎖的な一氏独裁が仕切る村の組織の中で呪いに翻弄される人々の世界に迷い込ませる、何というか、金田一耕助シリーズ的すぎた。なんだか、一瞬、おどろおどろしい、妖怪的な気味悪い人間とその仲間で構成される狭い社会の話に飛んで行くというパターンだ。
次に、マルともバツとも言える点について。つまり、長所でもあるし、短所でもあるのは、色んな意味で目立つ、良い役者さんたちを使いながら、わざとその役者さんの典型的な外見をぼやかすことで、視聴側に奇妙さや不可解さを感じやすくすることである。その効果は高められたと思う。(マル)
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具体的には、準主役的キャラである、川栄李奈、瀧本美織が、川栄だよね?瀧本だよね?と数回、視聴側が自問自答するくらい、外見がボヤッとしていたり、顔の印象がちょい違う人に見える演出を故意にやっている!このボヤッとさがやり過ぎてる感が否めない。(バツ)
実際、川栄が前髪で額や目が隠されている出方で、美が感じられないし、無理矢理、間宮ん家にずぶ濡れで押しかける展開があるのだが、カメラが例えば川栄の露わな脚を全く狙わない。有名どこというか、2人とも持ち前の女性美やエロティシズムが最高潮で人気の高い、売れ熟れの女優だけに、なぜ、その特長をそのまま出させないのか、いい女優を採用しながら、映し方に難ありで映像価値が高まらないんじゃないかな?と思ってしまう。
他にも、見終わってエンディングテロップで出演者名が上がりだしてから気づく配役もあった。あれ!?根岸季衣?出てた?まさかのあの薄気味悪いばぁちゃん?後からチェーンソー振り回してた、あれ?んー!?石坂浩二、こうじー!!??出てた⁇って感じで大御所の出演に気づかないまま、済まされている?あの片渕家当主のジジイ?かな、自己満的に左手供養の儀式を全うして自滅したキャラかな?というのが、僕の実際の認識。これは、意外な印象を与える効果があったとしても、それを上回る残念さ、なんかちびっと使いでMOTTAINAI感が大き過ぎるようにも思える。
斉藤由貴の使い方も、もうちょっとだったかな。色気が出し惜しみ的だ。実はまだ呪いにとらわれているというオチはよかったけど。佐藤二朗の使い方ももうちょいかな。奇怪さや特異なキャラは彼の持ち味的なところでもあるので、上手かったが、主役の間宮祥太朗をずっと支えるというか、味方っていうのが、いまいちな展開だったかな。また、斉藤由貴に強い迫り方をする流れもあったので、そこまでやるなら、もっとサディスティックなスタンスで行く手段もとれたように思うね。
上手な視覚効果は、間宮祥太朗の目線だったり、間宮祥太朗のモバイルカメラの視野だったりが、恐怖感と相まって、ブレたり、落ちつかなかったりするのが、不安さを助長し、見てる側はドキドキと、少しイライラさせられた。また、目線や視野の端に、見たくない者が急に登場したり、端から真ん中に堂々と近づいてきたりするシーンは、怖さが倍増してうまい撮り方だったと思う。
でもこの撮り方、低予算で若い女性にバカうけし、バズり大ヒットを記録した『カメラを止めるな』にひじょうに似てる。映り込みが怖いというか、カメラワークの隅に変なものが入っていないか、こわごわしながら進んでいく手法、そのままだ。世間への流行り具合までねらっての企画だったに違いない。二番煎じと言われずに大ヒットを記録できるかどうか、制作費とのコストパフォーマンスを考えた上で成功と言えるかどうかが、この作品の最終評価となろう。
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